2014年04月13日 00:31
皆さん、こんにちは。
今日はゲーテの言葉をご紹介させて頂きます。
先日古い本箱で、私が大学時代に買って読んだ本が目に止まりました。本の題名は「いきいきと生きよ ゲーテに学ぶ」で、著者は手塚富雄氏です。内容は、著者がゲーテの諸作品の中から色々な言葉を選び出して、それに解説をしているものです。
私が大学生の時に読んだ本ですから、紙面もかなり黄色くなって乾燥していました。その本をパラパラとめくっていたところ、黄色のマーカーがひいてある箇所が目に止まりました。それは、下記の部分です。
「なぜわたしは移ろいやすいのでしょう、ゼウスさま」と、美がたずねた。
「わたしは移ろいやすいものだけを、美しくつくったのだよ」と、神は答えた。 (ゲーテ : 詩「四季」)
ゲーテのこのことばに含まれている意味は、非常に深く、汲みつくせないものをもっている。個人的に考えても、「死」は何人にもまぬかれがたい定めであるが、その死の定めは、実は現在生きていることと、まったく一体のものであることに気がついてくる。(中略)
われわれ人間にできる最善のことは、瞬間を永遠なるものに転化することである。スポーツマンが全力を出し切ってシュートに成功した瞬間に、かれは永遠ということに触れたのである。もっと息の長い事業にしても、大きい時間の流れから見れば瞬間にほかならない。いまの力を出しきって生きること、それがわれわれのできるすべてである。 そういうことを言ったゲーテの別のことばを次にあげておこう。
事物のはかなさについて大騒ぎをし、現世のむなしさの考察にふけっている人々を、
わたしは気の毒に思う。わたしたちがこの世に存在するのは、実際、はかないものを
永遠なものにするためではないか。(「箴言と省察」)
(「いきいきと生きよ ゲーテに学ぶ」著:手塚富雄 p.94-96から抜粋引用)
私がこの本を読んだ学生時代、このゲーテの言葉にマーカーを引いた自分が、何を感じていたのか今となっては思い出せませんが、あれから数十年の歳月がながれ、いままたこの本を読み返して、はじめてゲーテの言葉の真の意味を少しだけ理解できたような気がします。
「わたしたちがこの世に存在するのは、実際、はかないものを永遠なものにするため」というゲーテの言葉をかみしめて、これからの毎日を大切に生きていきたいと思います。
今日はこの辺で。