2011年11月27日
夫と踊る その2
サンデー特集、「踊りませんか?」から「夫と踊る」その2です。
|誰もが、自分は相手に思いやりがあって、忍耐強く、けなげに努力して
|いる、と思っているものである。ひとり残らず、そう思っている。そこ
|に落とし穴がある。相手に無数の欠点があるのと同じくらい、自分にも
|欠点は無数にある。パートナーもいい迷惑なのだ。相手が頑固だと思う
|自分は、相手よりさらに頑固だったりする。ダンスを通じて、私は夫の
|性格の悪さより、自分の性格の悪さを認識していった。相手の悪いとこ
|ろを引き出しているのは、常に自分の悪いところ、醜いところなのだ。
|人の長所というのは所詮欠点の裏返しでしかない。たとえば努力家だっ
|たら、怠け者は許せない。努力を他人にも強要する。私はけっこうこの
|口で、ダンスの楽しさを夫から奪うところだった。
|
|欠点をあげつらえばきりがないが、どんな相手にもいいところはひとつ
|くらいあるものである。いや、本当はもっとたくさんある。最初はそれ
|に惹かれたはずなのに、見えなくなってしまっているだけなのだ。相手
|のいいところを自分はどんなふうに生かせるのか、という姿勢で踊る。
|ダンスに通用するのはその姿勢のみである
|
|(浅野素女 著「踊りませんか?」第3章 p.79から引用)
今日の引用箇所で、私が一番共感を覚えたのは、
|人の長所というのは所詮欠点の裏返しでしかない。たとえば努力家だっ
|たら、怠け者は許せない。努力を他人にも強要する。
の部分です。
今日の部分は、競技ダンスの世界のお話ではなくて、そのままそっくり、世の中の人と人とのコミュニケーションにもあてはまることではないでしょうか。ダンスの世界では、そのことがよりクッキリと浮かび上がってくるところが難しいと思います。
今日はこの辺で。
|誰もが、自分は相手に思いやりがあって、忍耐強く、けなげに努力して
|いる、と思っているものである。ひとり残らず、そう思っている。そこ
|に落とし穴がある。相手に無数の欠点があるのと同じくらい、自分にも
|欠点は無数にある。パートナーもいい迷惑なのだ。相手が頑固だと思う
|自分は、相手よりさらに頑固だったりする。ダンスを通じて、私は夫の
|性格の悪さより、自分の性格の悪さを認識していった。相手の悪いとこ
|ろを引き出しているのは、常に自分の悪いところ、醜いところなのだ。
|人の長所というのは所詮欠点の裏返しでしかない。たとえば努力家だっ
|たら、怠け者は許せない。努力を他人にも強要する。私はけっこうこの
|口で、ダンスの楽しさを夫から奪うところだった。
|
|欠点をあげつらえばきりがないが、どんな相手にもいいところはひとつ
|くらいあるものである。いや、本当はもっとたくさんある。最初はそれ
|に惹かれたはずなのに、見えなくなってしまっているだけなのだ。相手
|のいいところを自分はどんなふうに生かせるのか、という姿勢で踊る。
|ダンスに通用するのはその姿勢のみである
|
|(浅野素女 著「踊りませんか?」第3章 p.79から引用)
今日の引用箇所で、私が一番共感を覚えたのは、
|人の長所というのは所詮欠点の裏返しでしかない。たとえば努力家だっ
|たら、怠け者は許せない。努力を他人にも強要する。
の部分です。
今日の部分は、競技ダンスの世界のお話ではなくて、そのままそっくり、世の中の人と人とのコミュニケーションにもあてはまることではないでしょうか。ダンスの世界では、そのことがよりクッキリと浮かび上がってくるところが難しいと思います。
今日はこの辺で。

2011年11月20日
夫と踊る
今週から、サンデー特集として、「踊りませんか?」の「夫と踊る」という章を3回に分けてご紹介させて頂きます。これは先週まで連載した「競技ダンスのこと」の続編でもあります。
ご夫婦でダンスを楽しまれておられる方も沢山おられますし、またご夫婦で競技ダンスをされているダンス愛好家の方も沢山おられます。そうでない方達にも、興味ある記事だと思います。
今日はその第一回目です。
|夫と踊る
|
|パートナーが夫の場合、相克はいっそう深まる。家に帰ってもいっしょ
|なのである。喧嘩したからといって、次の練習まで顔を合わせないです
|む、というわけにはいかない。夫婦でやっているから家でも練習できて
|いいわねえ、なんてとんでもない。ダンスをしているがゆえに、私たち
|は離婚の危機(!)を何度も体験した。家ではダンスの話題を避ける、
|というところまでゆき着いた。こんな思いをするなら、ダンスなんてや
|めた方がいいのかもしれない、と何度も思った。
|
|だが、視点を変えてみると、夫婦だったからうまく切り抜けてこられた
|のかもしれない。ダンスのパートナーは替えられるが、そうそう人生の
|パートナーを降りるわけにはいかない。そう思うと、衝突やすれ違いの
|建て直しはスピーディにならざるを得ない。ずるずると諍いを引きずっ
|て生活していたら、とてもやってはいられない。相手をわかろう、はた
|また誤解された態度をなんとかわかってもらおうと、ゴチャゴチャ弁明
|にエネルギーを費やすより、さっさと気持ちにケリをつけて、「次!」
|とページをめくってしまう。強引にそうしないと、引きつった顔で次回
|もダンスを踊ることになる。これではもう悲劇どころか喜劇である。
|
|(浅野素女 著「踊りませんか?」第3章 p.78-79から引用)
以前、このブログで、競技ダンスのパートナーを見つけるのは、結婚相手を見つけることより難しいと言われる、というお話をしたことがありますが、その理由の一つが今日の引用箇所に書かれています。
競技ダンスをやろうと思うくらいですから、お互いにダンスが大好きで、また競技ダンスに挑戦しようと思うくらいですから、お互いに負けず嫌いでチャレンジ精神旺盛な性格なのでしょう。
そこに持ってきて、競技会に出てみたものの、なかなか結果が出ない。その結果、お互いに自分はちゃんとやっているのに、結果が良くないのはパートナーのせいでは…となり、いつしかギクシャクした間柄になって、ではパートナーを解消しましょう。となってしまう。
私は競技ダンスは、競技ダンスそのものの難しさよりも、パートナーといかに理解し合って、心を合わせ力を合わせてやっていくかということの方が重要ではないかと思います。
今日はこの辺で。
ご夫婦でダンスを楽しまれておられる方も沢山おられますし、またご夫婦で競技ダンスをされているダンス愛好家の方も沢山おられます。そうでない方達にも、興味ある記事だと思います。
今日はその第一回目です。
|夫と踊る
|
|パートナーが夫の場合、相克はいっそう深まる。家に帰ってもいっしょ
|なのである。喧嘩したからといって、次の練習まで顔を合わせないです
|む、というわけにはいかない。夫婦でやっているから家でも練習できて
|いいわねえ、なんてとんでもない。ダンスをしているがゆえに、私たち
|は離婚の危機(!)を何度も体験した。家ではダンスの話題を避ける、
|というところまでゆき着いた。こんな思いをするなら、ダンスなんてや
|めた方がいいのかもしれない、と何度も思った。
|
|だが、視点を変えてみると、夫婦だったからうまく切り抜けてこられた
|のかもしれない。ダンスのパートナーは替えられるが、そうそう人生の
|パートナーを降りるわけにはいかない。そう思うと、衝突やすれ違いの
|建て直しはスピーディにならざるを得ない。ずるずると諍いを引きずっ
|て生活していたら、とてもやってはいられない。相手をわかろう、はた
|また誤解された態度をなんとかわかってもらおうと、ゴチャゴチャ弁明
|にエネルギーを費やすより、さっさと気持ちにケリをつけて、「次!」
|とページをめくってしまう。強引にそうしないと、引きつった顔で次回
|もダンスを踊ることになる。これではもう悲劇どころか喜劇である。
|
|(浅野素女 著「踊りませんか?」第3章 p.78-79から引用)
以前、このブログで、競技ダンスのパートナーを見つけるのは、結婚相手を見つけることより難しいと言われる、というお話をしたことがありますが、その理由の一つが今日の引用箇所に書かれています。
競技ダンスをやろうと思うくらいですから、お互いにダンスが大好きで、また競技ダンスに挑戦しようと思うくらいですから、お互いに負けず嫌いでチャレンジ精神旺盛な性格なのでしょう。
そこに持ってきて、競技会に出てみたものの、なかなか結果が出ない。その結果、お互いに自分はちゃんとやっているのに、結果が良くないのはパートナーのせいでは…となり、いつしかギクシャクした間柄になって、ではパートナーを解消しましょう。となってしまう。
私は競技ダンスは、競技ダンスそのものの難しさよりも、パートナーといかに理解し合って、心を合わせ力を合わせてやっていくかということの方が重要ではないかと思います。
今日はこの辺で。

2011年11月13日
競技ダンスのこと(その3)
サンデー特集、今週も競技会で良い結果が出ないときのことについての続きです。
|力を出せなかったのは相手のせいだ、という思いがどこかにくすぶると
|最悪である。しかも、当の相手も、相手のせいだと思っているのだから、
|ことはやっかいである。こうなると敵はほかのカップルではなく、自分
|のパートナーになってしまう。(中略)
|
|競技会なんてものにかかわったせいで、だめになったカップルを私はい
|くつも見てきた。この場合のカップルというのは、あくまでもダンスの
|カップルということだが、勝ち負けが介入することでダンス本来の楽し
|みや輝きが忘れ去られ、ふたりのダンス自体が妙にぎすぎすしたものに
|なってしまう。うまく踊ることが最優先になるから、パートナーが本来
|持っているよさが見えなくなる。相手の欠点だけが日を追うごとにクロー
|ズアップされてくる。(中略)
|
|実際、競技会をやっている人たちは、かえってダンス・パーティで踊る
|のが苦手だったりする。いかにうまく踊るか、うまく見えるかを目ざす
|あまり、その時その場で出会った相手をあるがままに受け入れて相手の
|個性に添ったハーモニーを楽しむ、という社交ダンスの基本姿勢を取り
|戻せない地点にまで行ってしまうためである。
|
|(浅野素女 著「踊りませんか?」第3章 p.75-77から引用)
今日の引用で、一番私が共感を覚えるのは、最後の段落のところです。
ダンスを習い始めて、比較的早い時期に競技ダンスを始めてしまうと、まだ基本がしっかりと固まっていないうちに、競技ダンス用とでも言うような踊りに進んでしまって、ある程度見栄えのする難しいステップを覚えようとするあまり、ダンスで最も大切なリードとフォローのコツを体得できなくなってしまう危険性があります。
それで、いつしか競技ダンス歴○年で○級という実績をモノにして、揚々とダンスパーティに乗り込んだものの、なぜか誰ともしっくりと踊ることができず、踊った相手の人も決して満足した顔つきをしてくれず、次に誘いに行ったら、「今、休んでいますので…」とやんわり断られ、「俺はダンスが上手になったはずなのに、これは一体?」ということになってしまいます。
これこそ、筆者が「その時その場で出会った相手をあるがままに受け入れて相手の個性に添ったハーモニーを楽しむ、という社交ダンスの基本姿勢を取り戻せなくなったため」と書いていることです。
私は大学時代に正式にダンスを習い始めて、すぐに競技ダンスもやりましたが、幸いに私のダンスの恩師が、「競技ダンスもパーティダンスの延長線上にあるべきだ」という考えの方であったので、そのような間違った道に入ることなく、ダンスの道を歩んでくることができました。
とにもかくにも、社交ダンスで一番大切なことは、私がこのブログで以前ご紹介してきた、「リードとフォロー ダンスの究極」(8月7日~)です。私が10年前にプロになり、ダンス教室を始めてから、ずっと一貫してお伝えしたいと思ってきたことが、このことです。
次回は、「夫と踊る」というタイトルで、筆者が配偶者と競技ダンスをやったことで、特に体験した下りをご紹介します。これもかなり面白いです。
長くなりましたので、この辺で。
|力を出せなかったのは相手のせいだ、という思いがどこかにくすぶると
|最悪である。しかも、当の相手も、相手のせいだと思っているのだから、
|ことはやっかいである。こうなると敵はほかのカップルではなく、自分
|のパートナーになってしまう。(中略)
|
|競技会なんてものにかかわったせいで、だめになったカップルを私はい
|くつも見てきた。この場合のカップルというのは、あくまでもダンスの
|カップルということだが、勝ち負けが介入することでダンス本来の楽し
|みや輝きが忘れ去られ、ふたりのダンス自体が妙にぎすぎすしたものに
|なってしまう。うまく踊ることが最優先になるから、パートナーが本来
|持っているよさが見えなくなる。相手の欠点だけが日を追うごとにクロー
|ズアップされてくる。(中略)
|
|実際、競技会をやっている人たちは、かえってダンス・パーティで踊る
|のが苦手だったりする。いかにうまく踊るか、うまく見えるかを目ざす
|あまり、その時その場で出会った相手をあるがままに受け入れて相手の
|個性に添ったハーモニーを楽しむ、という社交ダンスの基本姿勢を取り
|戻せない地点にまで行ってしまうためである。
|
|(浅野素女 著「踊りませんか?」第3章 p.75-77から引用)
今日の引用で、一番私が共感を覚えるのは、最後の段落のところです。
ダンスを習い始めて、比較的早い時期に競技ダンスを始めてしまうと、まだ基本がしっかりと固まっていないうちに、競技ダンス用とでも言うような踊りに進んでしまって、ある程度見栄えのする難しいステップを覚えようとするあまり、ダンスで最も大切なリードとフォローのコツを体得できなくなってしまう危険性があります。
それで、いつしか競技ダンス歴○年で○級という実績をモノにして、揚々とダンスパーティに乗り込んだものの、なぜか誰ともしっくりと踊ることができず、踊った相手の人も決して満足した顔つきをしてくれず、次に誘いに行ったら、「今、休んでいますので…」とやんわり断られ、「俺はダンスが上手になったはずなのに、これは一体?」ということになってしまいます。
これこそ、筆者が「その時その場で出会った相手をあるがままに受け入れて相手の個性に添ったハーモニーを楽しむ、という社交ダンスの基本姿勢を取り戻せなくなったため」と書いていることです。
私は大学時代に正式にダンスを習い始めて、すぐに競技ダンスもやりましたが、幸いに私のダンスの恩師が、「競技ダンスもパーティダンスの延長線上にあるべきだ」という考えの方であったので、そのような間違った道に入ることなく、ダンスの道を歩んでくることができました。
とにもかくにも、社交ダンスで一番大切なことは、私がこのブログで以前ご紹介してきた、「リードとフォロー ダンスの究極」(8月7日~)です。私が10年前にプロになり、ダンス教室を始めてから、ずっと一貫してお伝えしたいと思ってきたことが、このことです。
次回は、「夫と踊る」というタイトルで、筆者が配偶者と競技ダンスをやったことで、特に体験した下りをご紹介します。これもかなり面白いです。
長くなりましたので、この辺で。

2011年11月06日
競技ダンスのこと(その2)
サンデー特集、競技ダンスについてのお話(その2)です。
先ずは「踊りませんか?」からの引用です。
|パーティ・ダンスではお目にかかれないシャープな動きやスピード感、
|ぞくぞくするような高揚感に出会えるのも競技会の楽しさである。そ
|んなこんなで競技ダンスを見に行っているうちに、いつしか欲が出て
|きて、いつの間にか私もアマチュア競技者の端くれとなっていた。
|(中略)
|
|ただすべての人に競技会は勧められない。競技会に出たことによって
|ダンスが本来の楽しみを失ってしまうことが往々にしてあるからだ。
|それはなぜだろう。
|
|競技会ではほかのカップルとの比較で順位が決まる。このステップが
|できていなかったとか、あのポジションが悪かったとか、もしもそう
|した判定が目に見える形で出るのなら、結果は比較的受け止めやすい
|かもしれない。しかし、ダンスはあくまで審査員の総合評価で何位と
|つく。なぜ横で踊っていたカップルより私たちはだめなのか、どこが
|どうだめだったのか、数字でこと細かく出るわけではないので、もや
|もやとした思いが残ることもある。
|
|(浅野素女 著「踊りませんか?」第3章 p.74-75から引用)
筆者は、「もやもやとした思いが残ることもある」と書かれていますが、これは少々控えめな表現ではないかと思います。
私はゴルフに熱中していた時期もありましたが、ゴルフは結果が数字ではっきりと出ますので、良いときもわるい時も誰を責めることもできず、すべて自分の責任ということで納得がいきます。
しかし、人が人を評価するということは、人によって見方もそれぞれですので、良いときは良いですが、評価されなかったときにはやはり納得がいかないと思うことがあります。
これは何も競技ダンスに限らず、芸術性を競うスポーツでは必ずついて回るものなのでしょう。
私は最近では、競技会の結果に一喜一憂するのではなく、何のために競技ダンスをやっているのかということをしっかりと考えて、その結果を謙虚に受け止めて、さらに良いダンスを目ざす動機付けにするように心がけています。
長くなりましたので、今日はこの辺で。
先ずは「踊りませんか?」からの引用です。
|パーティ・ダンスではお目にかかれないシャープな動きやスピード感、
|ぞくぞくするような高揚感に出会えるのも競技会の楽しさである。そ
|んなこんなで競技ダンスを見に行っているうちに、いつしか欲が出て
|きて、いつの間にか私もアマチュア競技者の端くれとなっていた。
|(中略)
|
|ただすべての人に競技会は勧められない。競技会に出たことによって
|ダンスが本来の楽しみを失ってしまうことが往々にしてあるからだ。
|それはなぜだろう。
|
|競技会ではほかのカップルとの比較で順位が決まる。このステップが
|できていなかったとか、あのポジションが悪かったとか、もしもそう
|した判定が目に見える形で出るのなら、結果は比較的受け止めやすい
|かもしれない。しかし、ダンスはあくまで審査員の総合評価で何位と
|つく。なぜ横で踊っていたカップルより私たちはだめなのか、どこが
|どうだめだったのか、数字でこと細かく出るわけではないので、もや
|もやとした思いが残ることもある。
|
|(浅野素女 著「踊りませんか?」第3章 p.74-75から引用)
筆者は、「もやもやとした思いが残ることもある」と書かれていますが、これは少々控えめな表現ではないかと思います。
私はゴルフに熱中していた時期もありましたが、ゴルフは結果が数字ではっきりと出ますので、良いときもわるい時も誰を責めることもできず、すべて自分の責任ということで納得がいきます。
しかし、人が人を評価するということは、人によって見方もそれぞれですので、良いときは良いですが、評価されなかったときにはやはり納得がいかないと思うことがあります。
これは何も競技ダンスに限らず、芸術性を競うスポーツでは必ずついて回るものなのでしょう。
私は最近では、競技会の結果に一喜一憂するのではなく、何のために競技ダンスをやっているのかということをしっかりと考えて、その結果を謙虚に受け止めて、さらに良いダンスを目ざす動機付けにするように心がけています。
長くなりましたので、今日はこの辺で。

2011年10月30日
競技ダンスのこと
今週のサンデー特集から、競技ダンスというものについて取り上げていきたいと思います。
特にダンスの種類と定められている訳ではないのですが、社交ダンスには、ダンスパーティやダンスホールで踊られるパーティダンスや、ダンスの競技会に出て技を競う競技ダンス。そして先日の発表会などで踊るデモンストレーションダンスというものがあります。
この競技ダンスのことについて、「踊りませんか?」の本の中でも、著者の競技ダンスの体験談が詳しく述べられていて興味深いので、何回かに分けてご紹介したいと思います。
|競技会を目ざすとは?
|
|男女の相克といえば、ダンスそのものが相克を生む場合もある。競技会
|などに手を染めたら、たちまち葛藤の渦に巻き込まれることになるやも
|しれない。ましてや相手が私生活上でもパートナーである場合、事態は
|いっそう複雑かつ深刻になる。幸か不幸か、私はどちらも体験した。
|
|最初は楽しい、楽しい、で幸せである。この曲は何だろう、とテン・ダ
|ンスを聴き分け、見分けるだけでも楽しい。パーティ・ダンスの基礎が
|踊れるようになる頃には、背筋がぴんと伸びてくる。おなかのまわりも
|なんとなく引き締まってくる。モダンでは、特に女性は後退する動きが
|多い。日常の生活の中で、大きな歩幅で後退するなどということはほと
|んどないので、これが案外、脳の刺激になっていいらしい。背中を丸め
|て後ろ歩きしたら見られたものではない。無理やり背筋も伸びてくると
|いうものだ。
|
|(浅野素女 著「踊りませんか?」第3章 p.74から引用)
著者は、「幸か不幸か、競技ダンスのパートナーがご主人だった」という意味のことを書かれていますが、競技ダンスのパートナーを捜すのは、人生のパートナーを捜すよりも難しいと言われています。この辺のことは、今回の特集記事を読み進んでいくと、段々と分かって頂けると思います。
私は大学時代に2年間ほど競技ダンスをやりましたが、その時の恩師から、「木下はパートナーには恵まれんなぁ」と同情されたことを覚えています。
それから数十年の時を経て、現在はとても良きダンスのパートナーに恵まれて、大変幸せに思っています。待てば海路の日和ありと言ったところでしょうか。
長くなりましたので、今日はこの辺で。

特にダンスの種類と定められている訳ではないのですが、社交ダンスには、ダンスパーティやダンスホールで踊られるパーティダンスや、ダンスの競技会に出て技を競う競技ダンス。そして先日の発表会などで踊るデモンストレーションダンスというものがあります。
この競技ダンスのことについて、「踊りませんか?」の本の中でも、著者の競技ダンスの体験談が詳しく述べられていて興味深いので、何回かに分けてご紹介したいと思います。
|競技会を目ざすとは?
|
|男女の相克といえば、ダンスそのものが相克を生む場合もある。競技会
|などに手を染めたら、たちまち葛藤の渦に巻き込まれることになるやも
|しれない。ましてや相手が私生活上でもパートナーである場合、事態は
|いっそう複雑かつ深刻になる。幸か不幸か、私はどちらも体験した。
|
|最初は楽しい、楽しい、で幸せである。この曲は何だろう、とテン・ダ
|ンスを聴き分け、見分けるだけでも楽しい。パーティ・ダンスの基礎が
|踊れるようになる頃には、背筋がぴんと伸びてくる。おなかのまわりも
|なんとなく引き締まってくる。モダンでは、特に女性は後退する動きが
|多い。日常の生活の中で、大きな歩幅で後退するなどということはほと
|んどないので、これが案外、脳の刺激になっていいらしい。背中を丸め
|て後ろ歩きしたら見られたものではない。無理やり背筋も伸びてくると
|いうものだ。
|
|(浅野素女 著「踊りませんか?」第3章 p.74から引用)
著者は、「幸か不幸か、競技ダンスのパートナーがご主人だった」という意味のことを書かれていますが、競技ダンスのパートナーを捜すのは、人生のパートナーを捜すよりも難しいと言われています。この辺のことは、今回の特集記事を読み進んでいくと、段々と分かって頂けると思います。
私は大学時代に2年間ほど競技ダンスをやりましたが、その時の恩師から、「木下はパートナーには恵まれんなぁ」と同情されたことを覚えています。
それから数十年の時を経て、現在はとても良きダンスのパートナーに恵まれて、大変幸せに思っています。待てば海路の日和ありと言ったところでしょうか。
長くなりましたので、今日はこの辺で。
