2013年09月29日
熊本城マラソン2014 抽選結果
ようやく、秋らしい清々しい季節になりましたね。もう数日で10月ですからね。
さて、来年の2月16日に第3回目の熊本城マラソン2014が開催されますが、その参加申込みを8月にしていたところ、その抽選結果がメールで送られてきました。
結果は、”当選”でした。(^^)v
今年の2月の熊本城マラソンに初参加した時のことは、このブログで「初フルマラソン奮戦記」として紹介させて頂きましたが、あの時は30キロ過ぎから右膝が痛み出して大変だったものの、何とか完走することができました。
あれ以降も、毎週2~3回のランニングを続けて、来年も是非参加したいと思っていました。今年は昨年の定員9千人の枠を3千人増やしたそうですが、それでも抽選倍率は1.6倍くらいだったと聞いています。(ちなみに今年の倍率は1.76倍くらいだったと思います) 幸運にもまた来年2月の熊本城マラソンに参加できることになりましたので、またまた頑張って、身体作りをして行きたいと思います。
今回の目標は、一応今年のタイムから30分短縮です。
熊本城マラソンに参加しようと思い立って二年半、多少の波はありながらも、ランニングを続けて来て感じていることは、やはりランニングも奥が深いということです。体調や時間の余裕に応じて、5キロ、10キロ、15キロ、21.1キロ(ハーフマラソンコース)、30キロコースを設定して、ランニングをやっていますが、それぞれ数分の時間短縮がいかに難しいか痛感しています。
なかなか道は遠く、険しいですが、継続は力なりの言葉を信じて、これからも頑張っていきたいと思います。
熊本城マラソン2014まで、あと4ヶ月半。ガンバ !(^^)!

2013年09月22日
A・ロッド ヤンキース
今日はアメリカ大リーグ野球の話題です。
私は若い頃から大リーグのファンで、20代の頃初めて大リーグのテレビ中継が放映された時に、それを観て、大リーグ野球のスケールの大きさに魅了されました。お気に入りのチームはニューヨークヤンキースです。その頃は、まさかその数十年後、日本人の野茂やイチローや松井が大リーグの舞台で大活躍するとは想像もしていませんでした。
さて、前置きはこの位にして、最近注目した大リーグの話題です。
最近の大リーグで、スーパースターの中のスーパースターと言われたヤンキースのA・ロッドことアレックス・ロドリゲス選手が、先月18日のレッドソックス戦で、相手チームの投手から、あきらかに故意と見える死球を2球続けて投げつけられて、2球目はまともに左脇腹に命中し、両チームは乱闘の一歩手前までになりました。
そのニュースを知って、私は早速ユーチューブでその映像を見つけたのですが、その時のロドリゲス選手の態度に私は目をみはりました。
一球目は、足元の膝をねらったように見えて、ロドリゲスは身体をねじらせて危うく避けることができましたが、2球目は上体をまともにねらってきて、今回は肘に直撃することは避けられたものの、左脇腹に命中しました。
足の膝や肘にまともにデッドボールを受けると、選手生命に関わる致命的なケガに繋がる危険性があります。それも故意によるデッドボールを2球も続けて投げられたとしたら、誰もが激高するのではないでしょうか。
ところが、ロドリゲスはほとんど表情を変えることなく、ただ主審の判定に委ねる姿勢をとっただけだったのです。
ロドリゲスは、最近薬物規定違反疑惑でメジャーリーグ機構から処分を科されていて、大ファンだった私も、このことで少々失望しかけていたのですが、今回のこのユーチューブの映像を見て、あらためてロドリゲスの大ファンになりました。そして、どうすれば彼のような感情のコントロールの持ち主になれるのだろうと考えました。その答えはまだ出ていませんが、ここ最近何かあった時に、彼の姿が私の脳裏に蘇るようになりました。
ちなみに、ロドリゲスはデッドボールを受けた次の打席で、デッドボールを投げたあの投手からホームランを放ちました。やはり真のスーパースターは違いますね(^^)v。
この一連の映像がまとめられているユーチューブは下記のとおりです。興味のある方はどうぞ。
https://www.youtube.com/watch?v=cMx9JT6NrFk

2013年09月15日
ポール・マッカートニー 福岡公演
ビートルズのメンバー、ポール・マッカートニーのジャパンツアーコンサートが、この秋に行われることは、ご存じの方も多いと思いますが、大ファンの私としては是非行きたいと思って、11月15日の福岡公演の先行予約をしていました。
その抽選結果発表が今月の初めにあったのですが、残念ながらはずれて、やっぱり無理かとあきらめかけたのですが、めげずに二次予約を申し込んだところ、今度は幸運にも当選の知らせが先日ありました(^^)v
音楽評論家の湯川れいこさんのツイッター情報では、このツアーのチケット合計12万枚に対して、先行予約に28万枚の申し込みがあったということでした。チケット代金はS席で16500円で、すでにこのS席の一番良い席のアリーナ席の価格がウェブ上で60万円の値段がついているそうです。ま、いずれにしてもラッキーでした。
ところで、このポールのコンサートの名前が、"OUT THERE" となっていて、意味がピンと来なかったので、この語句についてネットで調べてみましたら、次のようなことのようでした。
★英語 "He is out there" の意味。
どういう意味でしょう。イケてるという様な時に使われていると思うのですが、和訳を教えてください
☆"He is out there"という英文は普通のコンテクストにおいての和訳は「彼は外にいる。」、「彼はあちらにいる。」という意味になると思います。
ただ、人間の言語活動はとても複雑で、ある表現が、それが使われる状況やある人たちのグループや集団においては特別な意味になったり、あるときは隠語的な表現になったり、暗示的、暗号的な表現になったりすることも多々ありますので、お尋ねの文が、「イケてる」という様な意味で使われることも十分ありえると思います。
例えば、私たちが日本語を使用する際に、
A:「おい、あいつこの頃いってるんじゃない?」
B:「まじ、完全にいってるよ。」
なんて会話において「いってる」と言う表現は元来の意味範疇からは逸脱して使用されているとおもいますが、会話をしている者同士においては意味は通じているという事になります。このような表現はそれらが母語であっても部外者が聞いて理解できないようなことがあると思います。ですから、お尋ねの"He is out there"が英語話者のある者たちにとって、ある状況下においては「彼イケてる」といった意味合いになる可能性も十分ありえると思います。
ということで、ポールの「イケてるコンサート」というくらいの意味で良いのではという気がしています。
正直なところ、生きている間にポールに会えるなんてことは、夢にも思っていませんでしたので、とても嬉しいです。ユー・チューブでポールのコンサート動画を観たりして、今からわくわくしています。やはり夢があるということは素敵なことですね。
というところで、今日はこの辺で。

2013年09月08日
フォレスト・ガンプ / トム・ハンクス
急に涼しくなりましたね。
もう秋もすぐそこまで、というところでしょうか。
さて、今日はお気に入りの映画のご紹介です。
トム・ハンクスの映画、「フォレスト・ガンプ/一期一会」。第67回アカデミー賞作品賞作品ですから、ご覧になった方も多いと思います。私も以前一度観て、マラソンをしているシーンが一番印象に残っていました。
熊本城マラソンの申し込み締め切りが、今月9月10日で、抽選結果が今月末に分かります。聞くところによると、昨年より定員を3千人増やして、一万2千人にしたのに、あっという間に申し込みが定員オーバーしたそうです。
私も週に2~3回ランニングをして、体力作りをしていますが、ここ最近、ランニング中にすれ違うランナーの数が急に増えたように思います。そんな時、ふと以前観たこの映画のことを思い出し、もう一度観たくなりました。
見なおしてみると、やはり良い作品でした。ランニングのシーンは、後半に少しあっただけでしたが、全編を流れるフォレスト・ガンプの愚直なまでの誠実さが、人生に於いて何が一番大切なことなのかということを、私に思い出させてくれました。それと、ジョン・レノンや歴代のアメリカ大統領達とのメイキング画像も楽しめました。
もしご覧になっておられない方がおられましたら、おすすめです。
興味のある方は、下記サイトをご参照下さい。
http://info.movies.yahoo.co.jp/detail/tymv/id19931/

2013年09月01日
中学3年生の時の作文集から
皆さん、こんにちは。
今日はつれづれ日記です。
先日、最近使っていない古い本箱を整理していたら、はるか昔、私が中学3年生の時の作文集が出てきました。そのときの校内作文大会で入選して、自分の作文が掲載されていたので懐かしく読み返しました。
昭和41年となっていたので、もう45年以上も前の文集ですから、紙が酸化して、文字が薄くなっていたので、このままだと今度見つけた時には、文字が判読できなくなっているかもしれないと思い、読めるうちにパソコンに入力しておこうと思い、ついでにこのブログで皆さんにもご紹介しようと思いつきました。
かなり長いですが、中学生の作文で、それほど中味があるわけではないので、お時間のある時にでも読んで頂けますと、嬉しく思います。
では、どうぞ。
「中体連」
3年2組 きのちゃん
「次、藤園中学校。」
「はい。」
ざわめいていた体育館の中が一瞬静まり、視線がぼくたちに集まった。ついにくるべき時は、きたのだ。そう思うと同時に、ぼくの頭の中に今までの事が、いなずまのように通り抜けた。
今までの事、その小説のような事実は、期末テストの終った次の日、7月8日に始まった。その日は土曜日だった。授業が済むと、体操部のぼくは体育館へ急いだ。中体連が2週間後にひかえているのである。体育館には、先輩のNさんが来ていた。中体連の種目である団体徒手の指導にきたのだという。徒手体操では、チーム・ワークが重視される。一人一人が上手でもバラバラではいけないのである。選手がだいたい集まったので、自信はなかったが、やってみることにし、やり始めた。ぼくたちの演技をだまって見ていたNさんの目の色が、不気味に変わってきた。そして、突然、
「やめろーっ。」と、どなった。そして、「なんか、そんざまは、全然あっとらんじゃなかか、よおし、あしたからびしびしきたえてやるけんね。」と言った。そのときは、あまり気にもかけなかったが、その言葉は、事実となって、ぼくたちにふりかかって来た。
4時から6時半までの猛練習。それは、なみたいていのものではなかった。それも、板の上での前転、後転である。皆、二、三日で足腰の痛みを訴えだした。しかし、彼のきたえかたは、ゆるまなかった。
「こらっ田代、ぬしだけおうとらんぞ。桑原は手の下がりすぎとる。」右手に太い棒をもちどなるその姿は、だれの目にも鬼と映ったに違いない。
中体連もあと3日という日。その日は、ちょうど、午前中授業であった。いつものように練習しているぼくたちに彼は言った。
「今日は運動場でする。」
彼のけんまくに押されてか、皆だまって運動場へ出た。太陽がジリジリと照りつける運動場。皆のせなかも汗にドロがついている。汗が目の中に入って目がかすむ。号令の声もかすれぎみだ。灼熱地獄のようである----- やっとすんだ。
「やりなおせ。」と彼は言った。ぼくは、おどろいた。暑さと疲労のために、皆は疲れている。それをやりなおせとは。ぼくたちは、拒否した。初めて、Nさんの言うことにさからった。ぼくたちは答えず体育館へもどった。彼も、ちょっといいすぎたと思ったのだろう。だまって帰ってきた。体育館へもどってきてここでいいからやれといった。それでぼくたちはやろうとしたが、ひとり3年の内布君が、いなかった。彼の怒りは爆発した。そして、水を飲んでいた彼のうでに、ほうきのえがとんだ。そして言った。
「もう、おれは知らんぞ、かってにしろ。」
その後3年だけ集まって計画をたてた。中体連は三日後の22日である。ぼくは、こう考えた。今の疲れようでは中体連では、たいへんなことになる。あすは、十分休養して前日に、二、三回覚えているか確めるぐらいにやるのだ。この案は、さっそく実行に移された。
「おやっ。」とぼくは思った。中体連の前日、正選手である、ぼくたちのクラスの内布君の席がポツンとあいているのだ。(けがでもしたのだろうか)とっさにそう考えたぼくは職員室に飛んで行き、先生へ彼の欠席の理由をたずねた。しかし、なんの連絡もないとのことだった。事情を話すと、彼のおとうさんの職場に電話をしてくださった。しかし、おとうさんもなにも知らないとのことだった。
その夜、ぼくはどうにでもなれという気持ちであった。藤園体操部は、過去になん度も優勝し、昨年は3位であった。その体操部が欠場するかもしれないのだ。そしてその不名誉な事態が生じた時のキャプテンはぼくなのだ。などと考えているうちに眠ってしまった。
(まだ、5時半にならんのだろうか。)などと考えて、うつらうつらしているぼくを、母が起こしに来た。さっそく飛びおきたぼくは自転車で出発した。集合場所は学校の校庭である。まだうす暗い朝の道を、自転車で行くのは実にさわやかである。もう勝敗なんてどうでもいいような気さえしてくる。校庭につくと、3年の泉君と二、三人が集まっていた。泉君も、ゆうべ眠られず、三時頃学校へ来て待っていたとのことである。
さあ、出発だ。ただ一つ心配なことは、あの内布君が来ていないことだ。長い道のりを経て、やっと帯山中の体育館へ着いた。(もしかしたら、内布君が来ているかも。)という、ひそかな期待も裏切られた。六時半頃であろう。体育館には、まだだれも来ていない。一度、規定問題を流してみたが、ちっとも身がはいらない。皆もやはり不安なのだろう。
そうこうしているうちに、出水中学、白川中学など続々と集まって来た。しかり彼は、来ない。いったいなんのために、あんな練習をしたんだろう。もしこなかったら、どうなるのだろう。まったく神に祈りたいような心境とはこのことをいうのだろう。そのときだ、「あっ、内布君のきたよ。」と一年生が叫んだ。まったく、そのときの皆の喜びようといったらなかった。泉君は顔中をほころばせながらかけよるし、めったに笑わない二年生までが笑った。もっとも、ぼくも相当喜んだのだろう。
「開会いたします。」という係員の先生の声とともに、始まった。団体徒手では規定問題と自由問題があり、規定が先にある。いつのまにか藤園中の番がきていた。結果は、完全に失敗であった。皆、コチンコチンに硬くなっていたのだ。ぼくたちの演技が終わったあとの会場は、冷やかな空気に包まれていた。
「体操も、へたな人がやるとカッコ悪かねえ。」遠慮のない声がぼくの胸に、つきささった。しかし、まだ自由がある。
「ハイ。」ぼくの号令のもとに自由種目の演技は始まった。転回、逆転、バランス、途中でぼくは、のびのびとやれているのに気がついた。会場もしだいにシーンと静まっていた。跳躍、そして深呼吸。ついに演技は終わった。そのとき、ぼくははっきりと聞いた。観衆のわれるような拍手を。規定問題のときのような、お義理の拍手ではない。ぼくはもう勝敗なんかどうでもいいような気分になっていた。
結果が出た。総合、第一位出水、第二位東野、第三位藤園中学校。第三位であった・・・・。
中体連が済んで三日ほど後のことだ。ぼくは帰途についていた。そのとき自転車に乗って走っていくNさんを見た。彼もこちらを向いた。彼はニッコリと笑っていた。ぼくは、はっきりと感じた。もう中体連は済んだのだと・・・・。
(昭和42年12月1日発行 「とうえん 第14集」から)
こうやって読み返してみると、人間というものは、子供の時も今も、全然変わっていないものなのだなぁと、つくづく思います。
私の思い出話におつきあい頂いて、大変ありがとうございました。
