2016年03月06日
東芝のこと
皆さん、こんにちは。
今日はきわめて個人的なつれづれ日記です。
東芝のことが、ニュースにたびたび取り上げられるようになって久しいですが、私は東芝に昭和50年に入社し6年間勤めたOBとして、あの東芝がいつのまにこのようなことになったのかと、とても残念に思っています。私のこの気持ちは、自分の母校(高校や大学)に何かあった時に感じるものと、相通じるものがあると思います。
と言うのも、私が在社した頃の東芝は、本当に素晴らしい会社だったからです。OBの私がこう言ってもあまり説得力がないかも知れませんが、中に入って勤務して、色々な上司と巡り会い、第二電算機事業部の営業として仕事をさせて頂いたその経験から、何の誇張もなくそう言えます。当時の東芝は、目先の利益よりも頑なに品質にこだわる、とても誠実な社風で、企業の当時のキャッチフレーズ「明日をつくる技術の東芝」を、地でいっていたと私は確信を持って言えます。私が入社したとき、その頃経団連会長もされた、かの土光敏夫氏が東芝の会長で、入社式の時に1時間近くエネルギッシュに話をされたことを覚えています。
私が入社する10年ほど前に、三鬼陽之助氏著による『東芝の悲劇』(1966年)という本がベストセラーになりました。内容的なことははっきり覚えていませんが、東芝が大企業になりすぎて、官僚的な社風が蔓延し、企業体質が弱り、会社の危機を招いたというような主旨だったと思います。その時、東芝を立て直したのが、土光敏夫氏でした。
歴史は繰り返す。それから数十年、東芝がまた悲劇に見舞われています。けれど私は今回も、東芝に残った東芝マン達が、不屈の精神で乗り越えて、再び不死鳥のように蘇り、社会と日本と世界の発展に貢献できる企業に復活してくれると、確信しています。
私の独り言を最後まで聞いて頂き、ありがとうございました。
ではまた来週。

↑このロゴは、私がいた頃の東芝のロゴです
今日はきわめて個人的なつれづれ日記です。
東芝のことが、ニュースにたびたび取り上げられるようになって久しいですが、私は東芝に昭和50年に入社し6年間勤めたOBとして、あの東芝がいつのまにこのようなことになったのかと、とても残念に思っています。私のこの気持ちは、自分の母校(高校や大学)に何かあった時に感じるものと、相通じるものがあると思います。
と言うのも、私が在社した頃の東芝は、本当に素晴らしい会社だったからです。OBの私がこう言ってもあまり説得力がないかも知れませんが、中に入って勤務して、色々な上司と巡り会い、第二電算機事業部の営業として仕事をさせて頂いたその経験から、何の誇張もなくそう言えます。当時の東芝は、目先の利益よりも頑なに品質にこだわる、とても誠実な社風で、企業の当時のキャッチフレーズ「明日をつくる技術の東芝」を、地でいっていたと私は確信を持って言えます。私が入社したとき、その頃経団連会長もされた、かの土光敏夫氏が東芝の会長で、入社式の時に1時間近くエネルギッシュに話をされたことを覚えています。
私が入社する10年ほど前に、三鬼陽之助氏著による『東芝の悲劇』(1966年)という本がベストセラーになりました。内容的なことははっきり覚えていませんが、東芝が大企業になりすぎて、官僚的な社風が蔓延し、企業体質が弱り、会社の危機を招いたというような主旨だったと思います。その時、東芝を立て直したのが、土光敏夫氏でした。
歴史は繰り返す。それから数十年、東芝がまた悲劇に見舞われています。けれど私は今回も、東芝に残った東芝マン達が、不屈の精神で乗り越えて、再び不死鳥のように蘇り、社会と日本と世界の発展に貢献できる企業に復活してくれると、確信しています。
私の独り言を最後まで聞いて頂き、ありがとうございました。
ではまた来週。

↑このロゴは、私がいた頃の東芝のロゴです
Posted by きのちゃん at 00:01│Comments(0)
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