2011年11月13日
競技ダンスのこと(その3)
サンデー特集、今週も競技会で良い結果が出ないときのことについての続きです。
|力を出せなかったのは相手のせいだ、という思いがどこかにくすぶると
|最悪である。しかも、当の相手も、相手のせいだと思っているのだから、
|ことはやっかいである。こうなると敵はほかのカップルではなく、自分
|のパートナーになってしまう。(中略)
|
|競技会なんてものにかかわったせいで、だめになったカップルを私はい
|くつも見てきた。この場合のカップルというのは、あくまでもダンスの
|カップルということだが、勝ち負けが介入することでダンス本来の楽し
|みや輝きが忘れ去られ、ふたりのダンス自体が妙にぎすぎすしたものに
|なってしまう。うまく踊ることが最優先になるから、パートナーが本来
|持っているよさが見えなくなる。相手の欠点だけが日を追うごとにクロー
|ズアップされてくる。(中略)
|
|実際、競技会をやっている人たちは、かえってダンス・パーティで踊る
|のが苦手だったりする。いかにうまく踊るか、うまく見えるかを目ざす
|あまり、その時その場で出会った相手をあるがままに受け入れて相手の
|個性に添ったハーモニーを楽しむ、という社交ダンスの基本姿勢を取り
|戻せない地点にまで行ってしまうためである。
|
|(浅野素女 著「踊りませんか?」第3章 p.75-77から引用)
今日の引用で、一番私が共感を覚えるのは、最後の段落のところです。
ダンスを習い始めて、比較的早い時期に競技ダンスを始めてしまうと、まだ基本がしっかりと固まっていないうちに、競技ダンス用とでも言うような踊りに進んでしまって、ある程度見栄えのする難しいステップを覚えようとするあまり、ダンスで最も大切なリードとフォローのコツを体得できなくなってしまう危険性があります。
それで、いつしか競技ダンス歴○年で○級という実績をモノにして、揚々とダンスパーティに乗り込んだものの、なぜか誰ともしっくりと踊ることができず、踊った相手の人も決して満足した顔つきをしてくれず、次に誘いに行ったら、「今、休んでいますので…」とやんわり断られ、「俺はダンスが上手になったはずなのに、これは一体?」ということになってしまいます。
これこそ、筆者が「その時その場で出会った相手をあるがままに受け入れて相手の個性に添ったハーモニーを楽しむ、という社交ダンスの基本姿勢を取り戻せなくなったため」と書いていることです。
私は大学時代に正式にダンスを習い始めて、すぐに競技ダンスもやりましたが、幸いに私のダンスの恩師が、「競技ダンスもパーティダンスの延長線上にあるべきだ」という考えの方であったので、そのような間違った道に入ることなく、ダンスの道を歩んでくることができました。
とにもかくにも、社交ダンスで一番大切なことは、私がこのブログで以前ご紹介してきた、「リードとフォロー ダンスの究極」(8月7日~)です。私が10年前にプロになり、ダンス教室を始めてから、ずっと一貫してお伝えしたいと思ってきたことが、このことです。
次回は、「夫と踊る」というタイトルで、筆者が配偶者と競技ダンスをやったことで、特に体験した下りをご紹介します。これもかなり面白いです。
長くなりましたので、この辺で。
|力を出せなかったのは相手のせいだ、という思いがどこかにくすぶると
|最悪である。しかも、当の相手も、相手のせいだと思っているのだから、
|ことはやっかいである。こうなると敵はほかのカップルではなく、自分
|のパートナーになってしまう。(中略)
|
|競技会なんてものにかかわったせいで、だめになったカップルを私はい
|くつも見てきた。この場合のカップルというのは、あくまでもダンスの
|カップルということだが、勝ち負けが介入することでダンス本来の楽し
|みや輝きが忘れ去られ、ふたりのダンス自体が妙にぎすぎすしたものに
|なってしまう。うまく踊ることが最優先になるから、パートナーが本来
|持っているよさが見えなくなる。相手の欠点だけが日を追うごとにクロー
|ズアップされてくる。(中略)
|
|実際、競技会をやっている人たちは、かえってダンス・パーティで踊る
|のが苦手だったりする。いかにうまく踊るか、うまく見えるかを目ざす
|あまり、その時その場で出会った相手をあるがままに受け入れて相手の
|個性に添ったハーモニーを楽しむ、という社交ダンスの基本姿勢を取り
|戻せない地点にまで行ってしまうためである。
|
|(浅野素女 著「踊りませんか?」第3章 p.75-77から引用)
今日の引用で、一番私が共感を覚えるのは、最後の段落のところです。
ダンスを習い始めて、比較的早い時期に競技ダンスを始めてしまうと、まだ基本がしっかりと固まっていないうちに、競技ダンス用とでも言うような踊りに進んでしまって、ある程度見栄えのする難しいステップを覚えようとするあまり、ダンスで最も大切なリードとフォローのコツを体得できなくなってしまう危険性があります。
それで、いつしか競技ダンス歴○年で○級という実績をモノにして、揚々とダンスパーティに乗り込んだものの、なぜか誰ともしっくりと踊ることができず、踊った相手の人も決して満足した顔つきをしてくれず、次に誘いに行ったら、「今、休んでいますので…」とやんわり断られ、「俺はダンスが上手になったはずなのに、これは一体?」ということになってしまいます。
これこそ、筆者が「その時その場で出会った相手をあるがままに受け入れて相手の個性に添ったハーモニーを楽しむ、という社交ダンスの基本姿勢を取り戻せなくなったため」と書いていることです。
私は大学時代に正式にダンスを習い始めて、すぐに競技ダンスもやりましたが、幸いに私のダンスの恩師が、「競技ダンスもパーティダンスの延長線上にあるべきだ」という考えの方であったので、そのような間違った道に入ることなく、ダンスの道を歩んでくることができました。
とにもかくにも、社交ダンスで一番大切なことは、私がこのブログで以前ご紹介してきた、「リードとフォロー ダンスの究極」(8月7日~)です。私が10年前にプロになり、ダンス教室を始めてから、ずっと一貫してお伝えしたいと思ってきたことが、このことです。
次回は、「夫と踊る」というタイトルで、筆者が配偶者と競技ダンスをやったことで、特に体験した下りをご紹介します。これもかなり面白いです。
長くなりましたので、この辺で。

2011年11月10日
目標がその人を創る その2
今日は11月3日の「目標がその人を創る」の補足です。
|このような目標があるからこそ、毎日のかなりきつい筋トレやストレッ
|チを続けることができる。
この文章の中の、「かなりきつい」と言うところがポイントだと自分では思っています。
ひらたく言えば、楽をしていては目標を達成することはできないし、自分の成長も望めないということです。
「好きこそ物の上手なれ」ということわざがあり、このことは事実だと思いますが、だからと言って、好きなことしかしない、イヤなことや、きついことや、面倒くさいことはしない、という姿勢だけでは、何の世界に於いても、ホンモノの「ものの上手」にはなれないのではないかと思います。
そもそも人生の目的とは、自分の魂(精神)を磨くことだと私は考えていますが、そのためには、楽ばかりしていてはいけない。むしろ、自分から進んで、厳しいことに取り組む姿勢が必要ではないかと思います。
けれど人生は良くできていて、仮に、楽をして生きて行こうと思っていても、必ずそうはさせない出来事が我が身に降りかかってきます。そしてイヤでも、その現実に立ち向かっていかなくてはなりません。
であれば、最初から自分から立ち向かっていく姿勢でいた方が、気分的に楽です。きつい辛い思いをしても、これで自分が鍛えられるのだと思えば、きつさや辛さの性格自体が変わってくるのではないでしょうか。
今日の記事を書きながら、昔、学生時代に知った次の短歌を思いだしました。
▼憂きことのなほこの上につもりかし 限りある身の力ためさむ (山中鹿之助)
(歌意)(今はよくない事態ではあるが)さらに、難事が起きてほしい。
わが能力に限界はあるだろうが、この力を限界まで試してみたい。
口で言うほど楽なことではありませんが、少しでも一歩でも、こういう心境に近づいていければと思っています。
長くなりましたので、今日はこの辺で。

山中鹿之助(像)
|このような目標があるからこそ、毎日のかなりきつい筋トレやストレッ
|チを続けることができる。
この文章の中の、「かなりきつい」と言うところがポイントだと自分では思っています。
ひらたく言えば、楽をしていては目標を達成することはできないし、自分の成長も望めないということです。
「好きこそ物の上手なれ」ということわざがあり、このことは事実だと思いますが、だからと言って、好きなことしかしない、イヤなことや、きついことや、面倒くさいことはしない、という姿勢だけでは、何の世界に於いても、ホンモノの「ものの上手」にはなれないのではないかと思います。
そもそも人生の目的とは、自分の魂(精神)を磨くことだと私は考えていますが、そのためには、楽ばかりしていてはいけない。むしろ、自分から進んで、厳しいことに取り組む姿勢が必要ではないかと思います。
けれど人生は良くできていて、仮に、楽をして生きて行こうと思っていても、必ずそうはさせない出来事が我が身に降りかかってきます。そしてイヤでも、その現実に立ち向かっていかなくてはなりません。
であれば、最初から自分から立ち向かっていく姿勢でいた方が、気分的に楽です。きつい辛い思いをしても、これで自分が鍛えられるのだと思えば、きつさや辛さの性格自体が変わってくるのではないでしょうか。
今日の記事を書きながら、昔、学生時代に知った次の短歌を思いだしました。
▼憂きことのなほこの上につもりかし 限りある身の力ためさむ (山中鹿之助)
(歌意)(今はよくない事態ではあるが)さらに、難事が起きてほしい。
わが能力に限界はあるだろうが、この力を限界まで試してみたい。
口で言うほど楽なことではありませんが、少しでも一歩でも、こういう心境に近づいていければと思っています。
長くなりましたので、今日はこの辺で。

山中鹿之助(像)
2011年11月07日
SONGS ザ・ビートルズ
11月2日にNHKで放映された、「SONGS ザ・ビートルズ」を観ました。
ビートルズは私が最も好きな音楽アーチストです。来年デビュー50周年を迎えるということでしたが、映像を今観てもまったく色あせることなく、音楽も新鮮で、ビートルズの音楽は後世にクラシックとして残るだろうと某音楽評論家が述べたことを思いだしました。
わずか30分の間にビートルズのデビューから解散までの活躍ぶりと音楽が紹介されましたが、200曲以上あるビートルズナンバーの主立った曲が紹介され、大ヒットした曲はそれほどカットされた印象も与えずに流れて、その編集の見事さにも感心しました。
懐かしいナンバーばかりでしたが、中でも「ヘイ・ジュード」の曲には、あらためてグッときました。
ビートルズと同じ世代に生きることができたことを、嬉しく感じたひとときでした。

ビートルズは私が最も好きな音楽アーチストです。来年デビュー50周年を迎えるということでしたが、映像を今観てもまったく色あせることなく、音楽も新鮮で、ビートルズの音楽は後世にクラシックとして残るだろうと某音楽評論家が述べたことを思いだしました。
わずか30分の間にビートルズのデビューから解散までの活躍ぶりと音楽が紹介されましたが、200曲以上あるビートルズナンバーの主立った曲が紹介され、大ヒットした曲はそれほどカットされた印象も与えずに流れて、その編集の見事さにも感心しました。
懐かしいナンバーばかりでしたが、中でも「ヘイ・ジュード」の曲には、あらためてグッときました。
ビートルズと同じ世代に生きることができたことを、嬉しく感じたひとときでした。

2011年11月06日
競技ダンスのこと(その2)
サンデー特集、競技ダンスについてのお話(その2)です。
先ずは「踊りませんか?」からの引用です。
|パーティ・ダンスではお目にかかれないシャープな動きやスピード感、
|ぞくぞくするような高揚感に出会えるのも競技会の楽しさである。そ
|んなこんなで競技ダンスを見に行っているうちに、いつしか欲が出て
|きて、いつの間にか私もアマチュア競技者の端くれとなっていた。
|(中略)
|
|ただすべての人に競技会は勧められない。競技会に出たことによって
|ダンスが本来の楽しみを失ってしまうことが往々にしてあるからだ。
|それはなぜだろう。
|
|競技会ではほかのカップルとの比較で順位が決まる。このステップが
|できていなかったとか、あのポジションが悪かったとか、もしもそう
|した判定が目に見える形で出るのなら、結果は比較的受け止めやすい
|かもしれない。しかし、ダンスはあくまで審査員の総合評価で何位と
|つく。なぜ横で踊っていたカップルより私たちはだめなのか、どこが
|どうだめだったのか、数字でこと細かく出るわけではないので、もや
|もやとした思いが残ることもある。
|
|(浅野素女 著「踊りませんか?」第3章 p.74-75から引用)
筆者は、「もやもやとした思いが残ることもある」と書かれていますが、これは少々控えめな表現ではないかと思います。
私はゴルフに熱中していた時期もありましたが、ゴルフは結果が数字ではっきりと出ますので、良いときもわるい時も誰を責めることもできず、すべて自分の責任ということで納得がいきます。
しかし、人が人を評価するということは、人によって見方もそれぞれですので、良いときは良いですが、評価されなかったときにはやはり納得がいかないと思うことがあります。
これは何も競技ダンスに限らず、芸術性を競うスポーツでは必ずついて回るものなのでしょう。
私は最近では、競技会の結果に一喜一憂するのではなく、何のために競技ダンスをやっているのかということをしっかりと考えて、その結果を謙虚に受け止めて、さらに良いダンスを目ざす動機付けにするように心がけています。
長くなりましたので、今日はこの辺で。
先ずは「踊りませんか?」からの引用です。
|パーティ・ダンスではお目にかかれないシャープな動きやスピード感、
|ぞくぞくするような高揚感に出会えるのも競技会の楽しさである。そ
|んなこんなで競技ダンスを見に行っているうちに、いつしか欲が出て
|きて、いつの間にか私もアマチュア競技者の端くれとなっていた。
|(中略)
|
|ただすべての人に競技会は勧められない。競技会に出たことによって
|ダンスが本来の楽しみを失ってしまうことが往々にしてあるからだ。
|それはなぜだろう。
|
|競技会ではほかのカップルとの比較で順位が決まる。このステップが
|できていなかったとか、あのポジションが悪かったとか、もしもそう
|した判定が目に見える形で出るのなら、結果は比較的受け止めやすい
|かもしれない。しかし、ダンスはあくまで審査員の総合評価で何位と
|つく。なぜ横で踊っていたカップルより私たちはだめなのか、どこが
|どうだめだったのか、数字でこと細かく出るわけではないので、もや
|もやとした思いが残ることもある。
|
|(浅野素女 著「踊りませんか?」第3章 p.74-75から引用)
筆者は、「もやもやとした思いが残ることもある」と書かれていますが、これは少々控えめな表現ではないかと思います。
私はゴルフに熱中していた時期もありましたが、ゴルフは結果が数字ではっきりと出ますので、良いときもわるい時も誰を責めることもできず、すべて自分の責任ということで納得がいきます。
しかし、人が人を評価するということは、人によって見方もそれぞれですので、良いときは良いですが、評価されなかったときにはやはり納得がいかないと思うことがあります。
これは何も競技ダンスに限らず、芸術性を競うスポーツでは必ずついて回るものなのでしょう。
私は最近では、競技会の結果に一喜一憂するのではなく、何のために競技ダンスをやっているのかということをしっかりと考えて、その結果を謙虚に受け止めて、さらに良いダンスを目ざす動機付けにするように心がけています。
長くなりましたので、今日はこの辺で。

2011年11月03日
目標がその人を創る
今日のタイトルは、「目標がその人を創る」にしましたが、内容的には、先週の「心の筋トレとストレッチ」の続編です。
|前置きが長くなりましたが、人生を生きていく上で大切なこと、重要
|なことは、良書を読むことで知識として得ることはできます。しかし
|それを実際に、自分の生き方として生かして生きていく為には、実は
|日々の小さな積み重ねの実践が必要ではないか。
|
|それも、筋トレやストレッチと同じような、心の痛みや辛さといった
|ものから逃げることなく、気合いで立ち向かっていくことが必要では
|ないかと思いました。
先日のダンスフェスタのデモの振付に、私はリフトを取り入れました。リフトとはバレエなどで、男性ダンサーがプリマ(女性ダンサー)を両腕で頭上に持ち上げるポーズのことですが、40数キロの体重の女性を腕だけで持ち上げるには、かなりの腕力が必要です。
振付は半年以上前に決めましたので、リフトをやると決めてから、特に毎日の筋トレとストレッチに力を入れました。
「フェスタの舞台でリフトをやる」という目標を決めたからこそ、それから半年間のあいだ、毎日の筋トレとストレッチを続けることができたと思います。
最初の頃は、腕立て伏せもせいぜい30回位が限度でしたが、段々と筋力もついてきて、いつのまにか100回できるようになりました。ちなみにフェスタが終わって一段落して、今度は12月のクリスマスダンスパーティでのデモに向けて、筋トレも目標を上方修正してこのところ腕立て伏せは130回やっています。
このような目標があるからこそ、毎日のかなりきつい筋トレやストレッチを続けることができる。
この事から発展させて、人生においても、先ずは高い目標を設定し、その実現の為に毎日努力する。目標があるからこそ、努力を続けることができると思います。
目標は人それぞれでしょうが、誰でも人生において幸せになりたいと望むことは共通でしょう。その幸せに向かって、日々具体的な努力を続けること。その結果が、いつの日か自分が描いていた夢が身近になっていることに気がつくのではないかと思います。
もう少し書きたいこともありますが、長くなりましたので、今日はこの辺で。
|前置きが長くなりましたが、人生を生きていく上で大切なこと、重要
|なことは、良書を読むことで知識として得ることはできます。しかし
|それを実際に、自分の生き方として生かして生きていく為には、実は
|日々の小さな積み重ねの実践が必要ではないか。
|
|それも、筋トレやストレッチと同じような、心の痛みや辛さといった
|ものから逃げることなく、気合いで立ち向かっていくことが必要では
|ないかと思いました。
先日のダンスフェスタのデモの振付に、私はリフトを取り入れました。リフトとはバレエなどで、男性ダンサーがプリマ(女性ダンサー)を両腕で頭上に持ち上げるポーズのことですが、40数キロの体重の女性を腕だけで持ち上げるには、かなりの腕力が必要です。
振付は半年以上前に決めましたので、リフトをやると決めてから、特に毎日の筋トレとストレッチに力を入れました。
「フェスタの舞台でリフトをやる」という目標を決めたからこそ、それから半年間のあいだ、毎日の筋トレとストレッチを続けることができたと思います。
最初の頃は、腕立て伏せもせいぜい30回位が限度でしたが、段々と筋力もついてきて、いつのまにか100回できるようになりました。ちなみにフェスタが終わって一段落して、今度は12月のクリスマスダンスパーティでのデモに向けて、筋トレも目標を上方修正してこのところ腕立て伏せは130回やっています。
このような目標があるからこそ、毎日のかなりきつい筋トレやストレッチを続けることができる。
この事から発展させて、人生においても、先ずは高い目標を設定し、その実現の為に毎日努力する。目標があるからこそ、努力を続けることができると思います。
目標は人それぞれでしょうが、誰でも人生において幸せになりたいと望むことは共通でしょう。その幸せに向かって、日々具体的な努力を続けること。その結果が、いつの日か自分が描いていた夢が身近になっていることに気がつくのではないかと思います。
もう少し書きたいこともありますが、長くなりましたので、今日はこの辺で。
