2021年08月08日

ジャンヌ・ダルク 復権裁判 ♪

こんにちは。

先週のブログにジャンヌ・ダルクのことを書きましたが、映画を3本観て、コミックを全6巻読んでも、ジャンヌが火刑に処せられたあとのことが全然触れられていなかったことが気になり、ネットで色々と調べてみました。

その結果、ジャンヌの母イザベルからの要請などで復権裁判が開かれ、1456年7月7日にジャンヌの無罪が宣告されたことが分かりました。それはジャンヌの死後25年だったそうです。詳細は下記のとおりです。

☆ジャンヌ・ダルク復権裁判

百年戦争の終結後に、ジャンヌの復権裁判が開かれた。ローマ教皇カリストゥス3世も公式に承認したこの裁判は「(異端)無効化裁判」とも呼ばれ、フランス異端審問官長ジャン・ブレアルとジャンヌの母イザベル・ヴトンからの要請によるものだった。この復権裁判の目的はジャンヌに対する有罪宣告と陪審評決が、教会法の観点から正当なものだったがどうかを明らかにすることだった。(中略)

1456年6月にブレアルは、ジャンヌが殉教者であり、異端審問を主導したピエール・コーションが無実の女性に異端の罪を被せたとする結果をまとめ上げた。ジャンヌの直接の処刑の原因となった男装については、女性の服装に関する教会法の観点から有効とされていた。

しかしながら、有罪を宣告される過程においてジャンヌが拘束されていたことが教義上の例外にあたるとして、復権裁判では異端審問での有罪判決が覆されている。そして復権裁判法廷は、1456年7月7日にジャンヌの無罪を宣告した。
                                  (出展:ピクシブ百科事典)


この中に「ジャンヌの直接の処刑の原因となった男装」とありますが、男装したことが最終的な原因となり火あぶりの刑に処せられたとは、何と乱暴なことかと思いました。

現代は言論や宗教の自由が認められていて、このような時代に、そして日本という国に生まれることができて良かったと思います。

というところで、今日はこの辺で。
まだまだ酷暑が続きます。お体ご自愛下さい。



  


Posted by きのちゃん at 00:01Comments(0)その他つれづれ日記